奨学生の声

Voice

2024年度 海外留学支援奨学生 鈴木嘉仁すずき よしひとさん

エコール・ノルマル音楽院(École Normale de Musique de Paris, Alfred Cortot)ピアノ科/フランス

私は、フランス・パリにあるエコール・ノルマル音楽院という学校に留学をしました。

この学校は、ピアニストのオーギュスト・マンジョが同じくピアニストのアルフレッド・コルトーと共に1919年に創設したフランス政府から唯一認められている高等音楽教育機関です。アルフレッド・コルトーはピアニストであれば誰もが知っているような歴史的ピアニスト兼教育者であり、私も彼の演奏を何度もCDで聴いてきましたし、彼が残した校訂譜、コルトー版と呼ばれる楽譜を愛用してきました。また、学校にはサル・コルトーというホールが隣接されています。このホールは、数多くの有名なピアニストが演奏会を開いており、音響が素晴らしいとの評判を予てから耳にしていました。そのため何年も前からいつかこのホールで演奏したいと思っており、私にとってこの学校はとても身近に感じていました。

日本で大学を卒業し、私は留学を含め幾つかの選択肢で進路を決めかねていました。音楽家の演奏の成長や変化は何処で、誰と学ぶかによって全く異なったものになるからです。そのような時、エコール・ノルマル音楽院で教鞭をとっているフランス人のピアニスト、パスカル・ロジェ氏が門下入りを認めてくださいました。ピアノを続けるならばフランスに行き彼のもとで学びたいと思っていたので、その瞬間にフランスに行くことを決意しました。

  • キャンパス1

    エコール・ノルマル音楽院

  • キャンパス2

    サル・コルトー

留学体験
作曲家へ挨拶をしに墓参りへ

1.パッシー墓地

 フランスでの最初のレッスンではドビュッシーの月の光を弾き、先生がさらっと弾いてくださった音に涙ぐむほどの感動をし、レッスン後そのままパッシー墓地というドビュッシーの墓がある場所に向かいました。ドビュッシーの墓の前に立った時は武者震いをするような感覚に襲われたことを覚えています。それもそのはずであり、ドビュッシーは私にとってフランス音楽を身近に感じさせてくれた作曲家であるからです。

 パッシー墓地には、ガブリエル・フォーレの墓もありました。当時はフォーレの曲に取り組み始めていた時だったので、「これからよろしくね。」というような気持ちをお墓に向けて伝えました。

2.ペール・ラシェーズ墓地

 この墓地には数多くの著名人が埋葬されています。帰国直前、彼らだけには会っておかなければとショパンとプーランクの墓を拝みに行きました。

 好きな作曲家は?と聞かれたとき無意識に答えていたのはいつもショパンでした。いつしか私にとって心から特別な作曲家だと思うようになりました。ショパンの父はフランス人であったものの、彼はポーランドで生まれ育ったポーランド人でした。しかし、お墓には花や手紙が置いてあり、フランス人からもこれほど愛されているということには驚嘆しました。彼はフランスでも高く評価されていた作曲家ということを実感しました。私はショパンの音楽をイメージする時、いつもポーランドの舞踊や舞曲のリズムが頭に浮かんできましたが、この出来事以降フランス的な音の響きを頭に浮かべることが多く、ショパンに対する新たなインスピレーションを得ることができました。

 プーランクという作曲家はフランスに来てから初めて取り組んだ作曲家で、彼のユーモアあふれる曲調に惹かれ今では私の最も好きな作曲家の1人となりました。彼の曲はレッスンでもよく見てもらっていたので、帰国前に会いに来れてよかったです。

各作曲家の墓。(左からドビュッシー、フォーレ、ショパン、プーランク)

コンクールのような緊張感のあった2度の試験

 本学の試験はコンクールと呼ばれるもので、時代別に古典、ロマン、近代、現代から1曲ずつ、その中にソナタとエチュード、そしてフランスの作曲家も含まなくてはならないという条件付き、その他に試験1ヶ月前に発表される事前課題、ピアノ協奏曲というオーケストラと一緒に演奏する形式の曲も準備しなければならないという非常にハードな内容でした。先ず、1次試験が4月初旬にあり、そこではソナタ、エチュード、他自由曲1曲を準備する必要がありました。1次試験の合格率は3分の1程度と聞いていて、不合格になれば今年度の試験は終了になり、翌年に持ち越しになってしまうので只ならぬ緊張感と不安を持っており家に籠って一人で練習していても気持ちは下がる一方でした。試験の1週間ほど前、練習に疲れたので散歩に出かけました。そうしてフランスの街並みを見上げたとき、気分が晴れて自分がフランスで学べているありがたみを感じたのです。そこからは毎日朝起きたらクロワッサンを食べて、1杯のコーヒーと共に練習して、疲れたら散歩をし、フランスのお菓子を食べて練習して、ワインを飲んで練習して・・とフランスでしかできない生活を心がけました。試験に気をとらわれず、フランスと音楽を楽しむことに集中することにしたのです。

 そうして1次試験を終え、今年度の合格率は6分の1を下回っていたものの、幸運にも合格することができました。

 合格の瞬間に次の勝負は始まりました。ピアノ協奏曲を決めて、すぐに弾けるようにしなければなりません。すぐに先生に相談し、先生の勧めもあってラヴェルのピアノ協奏曲を弾くことに決めました。事前課題はフォーレになり、自由曲ではドビュッシーを選曲しフランス音楽に没頭する1か月半を過ごしました。

 そうして迎えた最終試験は、フランス作品の他にモーツァルトのソナタ、ショパンのエチュード、西村朗という日本人の作曲家の曲を準備しました。モーツァルトは自分のキャラクターを示すため、西村朗は日本人としてのパーソナリティを表すための選曲です。1度の試験でこれ程の曲数を演奏することは初めての経験でした。この試験でディプロマを取得できるかが決まるので1次試験同様只ならぬ緊張感を持っていました。しかし、ひとつ嬉しいこともありました。ディプロマ試験は文頭に記述した私の憧れのホール、サル・コルトーで開催されるということです。

 憧れのサル・コルトーの舞台に出た瞬間、「ついにここまで来たか」という感慨深い気持ちになりましたがすぐに本番の怖さはやってきました。後半こそ奏でる音楽に入りこめたものの、前半はこの演奏で人生が決まってしまう怖さを感じ、感慨と悔恨の両方を味わった複雑な本番となりました。

 結果はディプロマを取得することができました。自分自身では納得のいく演奏ができなかったため素直に喜べませんでしたが、先生は、「おめでとう、素晴らしいよ」と私を抱きしめてくれました。その瞬間、彼のもとで勉強をすることができて本当に良かったと感じました。私は、自分がピアニストであり続けていいのかを今まで何度も考えてきました。しかし、先生はそのたびに私を肯定する言葉をかけてくださいました。おかげで、この1年間はこれまでで最も心から「楽しく」ピアノに向き合えた時間となりました。

  • キャンパス1

    ディプロマ試験 ソロ演奏の様子

  • キャンパス2

    ディプロマ試験 ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調 演奏の様子

パスカル・ロジェ先生とのレッスン

 先生のもとで1年間学んで、彼の演奏スタイルからは今までの常識を覆されるかのような影響を受けました。

 先生の演奏をCDで聴いていた時、思っていたことは音の豊かさ(ペダリングの繊細さ)でした。実際に先生に演奏を聴いていただいたとき、先生が私の演奏に対して良く口にしたのは「Sans pédale(ペダルなしで)」という指示でした。私はこれまでダンパーペダル(響きを作るペダル)を踏み、音の響きを作りながら弾くことを演奏するときの基本としていました。フランスに来て練習を始めた段階で気づいたことがあります。それは、フランスの練習室は天井が高く、音が響きやすいということです。ですので、私はペダルを少し薄く踏む必要があるかもしれないと考えていました。しかし、先生は踏まないという選択肢があることを私に教えてくれました。後々研究していくと、彼の演奏は他のフランス人と比較してもペダルをあえてかけない箇所が多いことに気づきました。これは彼特有のスタイルでそれによって音の種類が豊富でメロディーラインが鮮明に聴こえてくる演奏になるのです。私はこの奏法を身に付けたことで、今までよりメロディーがよりクリアに、和声がより美しく聴こえる演奏法を身に付けることができました。

 技術面においても、彼の指の動かし方や手首の動かし方を見ると、非常に合理的であることが分かりました。教則本と呼ばれるような指のエクササイズになるような教材を使用して自分の演奏法を確認していただきましたが、腕には力を入れず、リラックスさせた状態で、指1本1本を強く使ってアーティキュレーションを打ち出すことを教えてくださいました。f(フォルテ)の音楽が重要視されないフランス音楽において、腕の力を使って鍵盤を弾くということはほぼ必要ないのかもしれません。私はこれまで腕を充分に使うようにして演奏をしてきたので、現在は先生の演奏法を自分のものにできるよう練習しているところです。

作曲家からの口伝

 パスカル・ロジェ先生のレッスンでドビュッシーやラヴェルを弾くと、度々「ここはマルグリット・ロンがこのように弾くようにと言っていたよ。」とおっしゃることがあります。

 マルグリット・ロン(1874-1966)は20世紀を代表するフランスのピアニストであり、同時に優れた教育者でもあった人物でした。彼女は、ドビュッシーやラヴェルと親交がありました。そのため、作曲家本人から「このように弾いてほしい」とのアドヴァイスをもらっていました。ラヴェルの曲に至っては、ロンが「この部分はこのように変えて弾いたらどう?」とピアニストとしての意見をラヴェルに問いかけ、ラヴェルが賛同し楽譜を変更したという話を聞くこともありました。ロンはとても優秀なピアニストだったため、ラヴェルはロンのピアニストとしての意見を大切にしていたそうです。しかし、それらの出来事は楽譜が出版された後のことだったので楽譜自体に訂正はされませんでした。

 先生は、ロン本人のレッスンを数回受けることができたそうです。また、ロンの弟子であるリュセット・デカーヴに師事していました。先生から教えていただいたロンの言伝は納得できることが多く、「そう演奏されるべきである」と思うことばかりでした。

おわりに

 フランス近代音楽の特権は1~2世代を遡れば作曲家に繋がるという点です。そのため、多くの作曲家の情報を聞くことができ、知見がより一層広がりました。先生から教えていただいたフランス音楽の歴史を今度は私が後世に伝えるべきだと思っております。そのため、これからもフランスの音楽家の曲を弾き続けていこうと思います。また、指導者として日本の学生にフランスで学んだことを伝えることにとても大きな意義を感じています。これからもフランス音楽を愛し、音楽活動を続けていきます。この度は、温かく多大なご支援を賜り、誠にありがとうございました。


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